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地獄は存在するか? 
(地球も地獄か? / エデンの園との比較)



現代人の地獄の概念

地球人の中で「地獄」という言葉を聞いたことのない人はいないのではないでしょうか。
また、人々はよく例えで「地獄のようだ」と表現したりします。あたかも、かつて地獄を見た事があるかのように。

しかし、「では本当に地獄は存在するか?」と質問したところで、誰も確信的な答えを言うことは出来ないでしょう。

「地獄はあると思う」とか「地獄なんていうのは人間の心が作り出した観念なんだよ」と答えるに違いありません。つまり皆、半信半疑なのです。

そして半信半疑でありながら、それを表現しようとして人々は様々な芸術を作っています。
古典文学や絵画はしばしば地獄をテーマにしています。

東洋、特に日本の地獄のイメージは、閻魔大王がいて地獄に堕ちた人々は血の池に溺れて、針の山を歩かされ、苦しんでいるというものです。
悪魔がいたり、地獄の大王がいたりと、考えようによっては滑稽に見えることのため、益々一般的常識人たちは地獄などというものを信じなくなっています。

神学校に通う生徒にとっても、地獄とは何か、神父たちがはっきりと説明できないために不確かなものになっています。
仏教の僧侶たちも、極楽浄土と対にして地獄の観念を持っているようですが、それをはっきりと説明できるお坊さんはいないでしょう。

つまり、宗教関係者たちは師匠から受け継いだ教えによって、その観念を持っているか、書物の中に書かれている事柄からイメージしているに過ぎないのです。

イエスの喩え

では、本当に地獄は存在していないのかというと〜結論を言うと〜“地獄は存在する”のです。この地球が存在するのと同じように、明確に存在しているのです。それは観念でも想像の産物でもありません。

イエスは宇宙を熟知している人でした。しかし、深遠な真理や宇宙のシステムを説明しても、大衆が理解できないことも分かっていたので(理解するには百科事典ほどの情報量の本を読まなければならない)、喩え話しをしたのです。

その中で彼は「たとえ片腕を失っても、完全な体のままゲヘナへ堕とされるよりは良い」と言っています。この「ゲヘナ」とは“地獄”のことです。

つまり、たとえ大きな罰を地球上で受けるとしても、地獄へ堕ちるよりはマシだと言っているのです。それ程、地獄は酷い所なのです。

ではその地獄とは実際はどのような所なのか。

実際の地獄

地獄とは、人間が殺人か殺人に匹敵するくらい卑劣な事をした時、堕とされる場所です。つまり、極悪人は死後、地獄という領域に下ることになるのです。

そこは単なる死後の世界ではありません。死後の世界にはあらゆる次元があり、奇妙に聞こえるかも知れませんが、あらゆる次元の内の1つである3次元の世界がこの地球なのです。

しかし、そのあらゆる次元にも当てはまらない領域があります。つまり次元に満たない程の僅かな、希薄な領域があるのです。それが、我々が俗に地獄と呼んでいる領域なのです。

先程も申し上げたように、極悪人だけがそこに堕とされます。したがって、そこには極悪人しか住んでいないということになります。

では「極悪人」とは何かというと、1言で、「エゴイスト」と表現できます。つまり、自己優先し他者に対する思いやりの全くない者たちの集まりが、地獄なのです。

そのような領域では、たとえ誰かが苦しんでいても誰も助けないし、自分が苦しんでいても助けてはもらえないのです。
そして、力の強い者は弱い者を虐げ放題し、力の強い者の優位な社会が成り立っているのです。(力といっても彼らが持っているものは霊力だが)

ただし、そのような生活が永遠に続くわけではありません。永遠と思える苦しみの時間の人生を送ることになりますが、その人生が彼らの次元で終わると、彼らはその世界で死に、再びその世界に生まれ変わるのです。

すると、かつて強くて他者を虐げていた者は弱く生まれつき(前世で霊力を浪費したから)、他のもっと強い者に虐げられるようになるのです。
そして、その強い者も同様に転生すると弱くなり、そのような循環を繰り返し、人々はお互いに苦しめ合い、それこそ地獄といえる世界を作り出しているのです。

それが地獄です。これは彼らにとっては永遠に等しい時間です。

だから、この次元は悪人たちの牢獄のようなものです。と同時に彼らにとって学びの場でもあるのです。
彼らは悟らなければならないのです。

このような社会に於いて、虐げられた者たちは強者に対して一致団結するようになります。つまり、多数の弱者たちが集まり少数の強者を撃退するようになるのです。そして、彼らはやがて「もうこんな争いは懲り懲りだ」と悟り、霊力や腕力が本当の強さではないと悟った時、彼らはその地獄という次元から開放されるのです。

そして開放された者は悔い改めた者として、上の世界へ再び上げられるのです。その「上の世界」とはこの地球のことです。

地獄から這い上がってきた人々

だから、この地球には現在でも地獄から這い上がって来た者が数多くいるのです。いや、数多くどころかそのほとんどが地獄から上って来た者たちなのです。西暦2000年現在でおよそ、80パーセントほどの人々がそうなのではないでしょうか。

なぜこんなに多いのかというと、近年の地球の歴史は戦争に次ぐ戦争で、多くの人間が加害者になってしまったからです。現在でも戦争指導者や兵士、殺人者や極悪な強姦魔などは死後、地獄へ堕とされているのです。

普通の人間はこう考えるものです。「私はそんな事はない」。しかし、もし戦時下に生まれついたら争いに巻き込まれずに済むでしょうか。

もし他人から酷いことをされたら、その仕返しをしたり、愛する者を守るという大義のために暴虐者を打ちのめそうとするのではないでしょうか。それでも、人が人を殺せば地獄へ堕とされることになるのです。

このような人々は地獄で生活し、悔い改め、地球に戻って来たとはいえ、魂の中に怒りが内在しているので、地球人となってもしばしば暴力性を出してしまうのです。

これが現在の地球を争いの場にしている一因でもあるのです。もし、我々がこの事実を理解できれば、意識して争いを止めるようになるでしょうが。

更に上の世界から見た地球

しかし、考えてみてください。このような地球の様子は、先の地獄の様子に似ていませんか?
金や権力のある者たちだけがのさばり、力のない者たちは虐げられている。そして中東やアフリカなど戦地で生活している人々は正にそこが地獄なのではないでしょうか。

これは偽りのないことですが、地獄はこの地球上にも作り得ることなのです。たとえそこが戦地でなくても、思いやりのない人々に囲まれて生活している人にとっては、その人の心の中に地獄が作られることもあるのです。

そして紛れもない事ですが、第1次大戦、第2次大戦、ベトナム戦争、イラク戦争・・・・など無数に戦争を起こし、互いに殺し合い傷つけ合い、他人を思いやらない人間が数多く住んでいるこの地球は、上の世界の住人たちからは「地獄」と見られているのです。

そして、上の領域に住む人々がもし大きな罪を犯すと堕とされる領域の1つが、この地球(この太陽系)なのです。

エデンの園

かつてアダムとイヴがいたというエデンの園。これをおとぎ話と考える人がほとんどではないでしょうか。
しかし、エデンの園は実際にこの地球上にあった史実なのです。

分かりやすく言うと、この地球上がかつて楽園だった時代があったということなのです。人々は働く必要もなく食べ物に不自由することもなく、パートナーに恵まれないこともなく、病気もなく、死の恐怖もなく暮らせた世界がかつて実際にこの地球上にあったのです。
ただし、気の遠くなるような、遥か昔の事です。

しかし、それはただ自然に楽園になったのではありません。神である主がこの地球に訪れたからなのです。
そして主の働きによって世界が改善された結果、平和の世界が出来上がったのです。

それでも、皆さんが聖書を読んでご存知のように、やがてアダムとイヴは罪を犯して楽園を去ることになります。つまり、人間が罪を犯したことによって以上のような平和が失われてしまったということなのです。

これは逆に考えてみると、常に争いばかり起こして互いに憎み合い互いに傷つけ合っているような状態では、いつまでたっても楽園は訪れないということです。

では反対に地球上から争いがなくなれば地球は楽園になるか? 答えはイエス。しかし、地球の歴史は人間が考える尺度よりも大きなものです。今日、明日、楽園になるという意味では必ずしもありません。

心がけ次第

しかし、地獄というのは人間の心の中に生じるように、平和の楽園も人間の中に作ることが出来るものです。

たとえ戦時下にいようと、たとえ惨めな境遇にいようと、たとえ苦しくても、まず自身の悪や罪(他人を憎む心、強欲、姦淫、他人を思いやらない心、エゴ)を払い、小さな愛(恋人、親、兄弟、友人〜たとえそれが思い出でも)を思い出し、希望を見出し、苦しんでいる人々を救う活動を始めたなら(あなたに救われた人の心には平和と愛が生じるでしょう)、あなた自身の内にも平和と愛が現れるのです。



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