会計士・税理士を目指す受験校TACが2003.3に取材
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第一線で活躍する会計人・鑑定士が、自らの独立・事務所開業までのプロセスや今後の事業展開、21世紀に求められるプロフェッショナル像を語るクローズアップインタビュー





手島 英男氏

税理士法人千葉中央会計事務所 所長
千葉第一監査法人 代表社員
公認会計士・税理士

●手島英男(てじま ひでお)
●1942年生まれ、東京都出身
●1965年:神奈川大学工学部経営工学科卒
 1970年:公認会計士第2次試験合格
  同年:プライスウォーターハウス会計事務所入所
 1976年:公認会計士・税理士登録
 1976年:千葉第一監査法人・旧嶋津会計事務所(現:千葉中央 会計事務所)入所
 1984年:千葉第一監査法人代表社員(現)
 2002年:税理士法人千葉中央会計事務所所長(現)
●著書 「こんなときどうする会社のQ&A(共著)」
 「チェックリスト税務調査と会社経理(共著)」
 「知恵社Q&A不況を克服する経営の知恵72選(共著)」
 「宗教法人会計の基本(共著)」
 「(エッセイ集)人生三分主義に帆を上げて」
●趣味 世界遺産を巡る旅
●好きな言葉 「温故知新」「一期一会」
●事務所 千葉市中央区中央1-2-1
     TEL 043-225-1211
     FAX 043-225-1230
     URL http://ccaf.jp

「結束力とノウハウの集約、さらにスタッフのやる気を高揚させるため税理士法人化が必要です」        

 2002年4月、税理士に対する納税者からの要請が複雑化・多様化する中で、信頼される税理士制度の確立をめざして、大幅な税理士法の改正が行われたのは記憶に新しい。中でも抜本的な変更点として、従来の税理士個人で開業する業務形態に加え、税理士法人や補助税理士という新しい業務形態が創設された。
 このような環境下にあって、同じ土俵で闘うことより共存を願い、地域に根差した独自の税理士法人を立ち上げた事務所が千葉県にある。今回ご登場いただいた公認会計士・税理士の手島英男氏率いる「千葉中央会計事務所」である。今回は、手島氏の話の断片から税理士法人の一つの方向性を探ってみたいと思う。
 千葉県第一号の税理士法人創立
 2002年4月1日、千葉県の税理士法人第一号としてスタートを切った事務所がある。今回ご登場いただいた公認会計士・税理士の手島英男氏が所長を務める「税理士法人千葉中央会計事務所」である。「本当は全国第一号になりたかった」と語る手島氏は、改正税理士法施行と同時に名乗りを挙げた。これは、1948年(昭和23年)、手島氏の義父である嶋津武敏氏が創設した嶋津会計事務所を発展的に解消し、法人化したものである。
 まずは、手島氏が、公認会計士を目指し、千葉県下で初の税理士法人を立ち上げるまでの軌跡を辿ってみよう。
 手島氏は、神奈川大学工学部経営工学科出身で会計とはまったく違う世界を歩んでいた。
 「大学卒業後、食品会社に2年ほど勤務し、経営企画を担当しましたが、自分には納得できる仕事ではなかった。税理士業を営む兄に相談したら『それなら公認会計士がいいのではないか』と勧めてくれた。それが、この世界に入るきっかけになりました」
 こうして公認会計士をめざして受験勉強が開始された。1967年(昭和42年)手島氏、24歳のことだった。専攻もまったく会計とは無縁、まったくの未経験者だった手島氏は、それこそ簿記の「ぼ」の字から始めなければならなかったのである。
 2年間の勤務に終止符を打ち、それからの3年半ひたすら受験勉強で過ごす日々が始まった。当時、会計士の資格受験専門学校は、ほとんどなかったので、手島氏は自宅から図書館に通い、独学で勉強することにした。日商簿記3級から始まり、約3年半の独学の結果、手島氏は、1970年(昭和45年)10月に晴れて公認会計士2次試験にパスしたのであった。
 プライスウォーターハウス会計事務所での監査経験
 会計士2次試験に合格した手島氏は、同年プライスウォーターハウス会計事務所(現:中央青山監査法人)に入所する。当時の会計士業界は、現在とは大分状況が違い、国内では太田昭和監査法人、後は外資系で占められ、他に監査法人はほとんど存在しなかった。手島氏が外資系の中でもプライスウォーターハウスをあえて就職先に決めたのは、「週休二日制と、外資系会計事務所で一番大きかった」という理由からだ。
 そこで手島氏は、ADR監査を担当する部署に配属された。ここはニューヨーク証券取引所に上場する国内大手上場企業の監査を担当する部署で、この部署だけでも当時約80名の監査スタッフが所属していた。ここで大手企業の監査をすることで、手島氏はその後の布石となる経験を積み、手法や技術を学んでいったのである。
 手島氏はプライスウォーターハウスに、昭和45年から昭和51年までの約5年半の間勤務している。その間、昭和50年4月には結婚という人生の転換期を迎えた。夫人の父親が、現千葉中央会計事務所会長・嶋津武敏氏であった。結婚が、手島氏の仕事の上でも、大きな転機となった。手島氏、32歳の春だった。
 千葉第一監査法人・嶋津会計事務所への入所
 手島氏の義父、嶋津武敏氏は、大正12年4月1日生まれ。公認会計士・税理士・司法書士・社労士・行政書士と、幅広く資格を有しているが、それこそ会計士・税理士制度ができる以前の昭和23年に嶋津会計事務所を創業した人物である。
 嶋津会計事務所で税務業務を営む一方、嶋津氏は1975年(昭和50年)4月に、千葉県初の監査法人として「千葉第一監査法人」を県内の有力会計士を糾合して設立した。当時の千葉県は、まだ監査対象会社も存在しなかったが、ちょうど金融機関監査がスタートし、上場を目指す企業が数社生まれ始め、その受け皿として監査法人の登場が待たれていた。嶋津氏は、この潮流を迅速かつ的確に捉え、千葉第一監査法人を設立することで、千葉県の会計士業界で先鞭を打ったのである。
 その後、手島氏は、この千葉第一監査法人の代表社員と嶋津会計事務所の副所長という二足の草鞋を履くことになった。
 「当時、監査法人の方はまだ草創期で10名程で運営していましたが、嶋津会計事務所は、当時から既に40名規模の事務所だった」と手島氏は当時を振り返る。
 さて、千葉第一監査法人は、現在社員15名、公認会計士25名の中堅クラスの規模にまで成長している。県内金融機関1行の監査を担当し、地場のプロパーな監査法人として、千葉県下の企業を対象に活動している。現在は金融機関を含め千葉県内の107の企業、学校法人等の監査を担っている。
 千葉第一監査法人は、立ち上げからあるひとつの信念のもとに運営されてきた。それは、千葉県中心のローカルな監査法人として地域経済にコミットしていくことである。3〜4年前までは千葉県の監査法人はここ1カ所だったが、「包括外部監査制度」の導入により、数年前より大手監査法人が3社千葉市内に事務所を開設した。こうした大手監査法人とは一線を画してきたのも、この事務所の方向性にある。大手とは違う特色で、競合とはならない環境が自然に生み出されたのである。
 それを「それはそれなりに、お互いに競争しながら、共存していける」と、手島氏は分析している。これは、基本的なスタンスの違いにより棲み分けが可能であるという姿勢だけでなく、千葉に根を張る老舗という大きなバックグラウンドを持つ余裕すら伺われる。
 税理士法人設立へ
 一方、税理士事務所も、2002年4月の改正税理士法がスタートすると同時にそれまでの「嶋津会計事務所」から「千葉中央会計事務所」と名称変更し、千葉県第一号の税理士法人として旗揚げした。税理士法人設立に関して、「会長が新しがり屋なものですからね。何事でも一番目にやるという精神が常にある。全国一番を目指して初日に申請書を持っていったのですが、既に十何番目だった」と楽しそうに話す手島氏である。
 トップ人事も変わった。嶋津所長が会長となり、それまで副所長だった手島氏が、所長として就任し、名実ともに法人を率いるトップとなった。
 手島氏は千葉県第一号の税理士法人の新所長に就任した際、所信表明の文章を事務所の壁に静かに張り出した。
 「当事務所が生き残っていくため、勝ち残っていくためには、新しい事へのチャレンジする勇気、変革する勇気が必要です。個々の職員にあっては、今まで以上に職業的知識の向上、スキルの向上、責任感の向上、協調精神の向上、サービス業としての親切心の発揮等、努力しなければならないことが沢山あります。これらを一つ一つ積み上げ、名実ともに千葉県でナンバーワン会計事務所を目指し、頑張っていきたいと思っております」
 この決意文書は、「与えられた環境を素直に受け入れ、その中で最善を尽くす」という手島氏の人生哲学が溢れた内容であった。
 ところで、所長に就任したからと言って、手島氏の仕事の環境ががらりと変わった訳ではない。
 「それまでも副所長という立場ではありましたが、会長は殆ど公職に追われ、実質的な業務は私が行っていました。2002年4月1日に対外的に意思表示したにすぎません。外見的には様変わりしたかもしれませんが」と、語っているように、それまでも手島氏は事実上のトップとして現場を守ってきたのである。そのため、会長であり創業者である嶋津氏とも、激論、討論を重ねながら、事務所の最善の方向性を模索してきた。嶋津氏が事務所の生みの親なら、手島氏は育ての親ということになるだろう。
 さらに、義弟である田中昌夫氏(公認会計士・税理士)も、1987年(昭和62年)より千葉第一監査法人の代表社員として参加した。現在、千葉中央会計事務所の副所長として嶋津氏・手島氏をサポートしてくれる頼もしい存在となっている。
 千葉第一監査法人は、現在公認会計士約40名を有し107社を数える監査先を持った法人へ、一方の千葉中央会計事務所も、公認会計士7名、税理士4名、税理士科目合格者多数の組織力を誇り、現在、顧問先法人450社、個人事業者150人、トータルで600件を越える事務所に着実に成長を遂げてきたのである。
 何事にも対応する事務所
 ここで、千葉中央会計事務所の業務内容についてご紹介しよう。基本的には法人・個人の決算申告書作成までの一連の流れが業務内容になるわけだが、手島氏いわく、例えば資産税や医療関係に特に重点を置くような、特化している分野はないそうだ。
 「基盤作りをする時にはそれなりに特化する『売り』の部分が必要でしょうが、昭和30年代40年代からの基盤があるので、基盤作りをする必要性がなかった。それに、医療であれ資産税であれ、何事にも対応できる事務所作りに努めてきた結果でもあります」と、手島氏は分野の特定がない理由を語っている。いわば、自然の成り行きに任せ、純粋に顧問先の要求に応えてきた結果である。
 「しいて言えば、地域での知名度の高さがあるため、公益法人の会計指導のような税務以外の部分も業務の一部となっていること」と言える。ただし、これも特徴として打ち出しているわけでもなく、自然体になるがままに業務に取り組んできた結果だそうだ。
 手島氏は、戦略的に拡大路線を図ることは考えてはいない。スタッフ数、顧問先数の量的拡大は考えずに、事務所の中身、質を高める方向で考えているという。
 「量的な部分だけを捉えてみると、千葉市というのは、消費都市ですから、外食産業やスーパー、コンビニの進出が激しく、既存の関与先が廃業に追い込まれてしまいます。そうしたことから量的拡大は難しい」
 地方都市の都市化の波は、もはや避けられない時代である。千葉中央会計事務所の顧問先は7〜8割が千葉市中心。残りも千葉県内である。こうした企業を助けるのが地元で根を張る会計事務所の任務と、手島氏は受け止めているようだ。生き残りをかけた企業のために会計人がやるべき任務は大きいと言えるだろう。また、経済環境・経営環境の厳しい昨今、優良体質企業は残り、体質不全企業は淘汰されてしまう時代である。手島氏の顧問先でも、数こそ減ったが、体質のいい体力のある企業が残ってきているという。こうした地元の優良企業を成長させるのが大きな目標である。
 「トータルで大きくしていこうという考えはありません。逆に、規模的には今よりスリムにしていきたい」
 新所長となった手島氏の戦略は、量的拡大にはない。しかし、中身を良くするための努力は惜しまない。目線は目の前の数字に捕らわれず、一歩先の世界を見ているようだ。この努力の一環とも言えるスタッフの教育には、特に熱が入っている。
 「会計制度の改変や連結決算等、新制度についての勉強会は日常的に行っています。お客様の満足度を高める努力は、常日ごろからしています。ですから、接客対応も口うるさく言っています。特化することよりも、寧ろそちらでの努力をしているのです」
 ひるがえって言えば、千葉市を中心とした地域のナンバーワンであることの誇りと安定感が、顧客を裏切らない努力を生み出した。千葉中央会計事務所にとって、医療法人や資産税を行うことは通常業務の一つに過ぎない。税務調査への対応も関与先数が多い分だけ、他の事務所よりも当然経験が多くなる。
 また、こうした幅広い業務や調査によって、事務所内に蓄積されたノウハウは膨大な量にのぼる。さらに言えば、職員の経験度も高く、職員レベルまで含めて非常に高い。その職員達も、女性で平均5〜6年、男性は平均20年以上と勤続年数が長いのが、事務所の特徴である。キャリアとノウハウの豊富な専門集団。それが、千葉中央会計事務所なのである。
 改正法以前から税理士法人だった!?
 長年のキャリアとノウハウを蓄積してきた嶋津会計事務所は、地元でもナンバーワンの実績を誇ってきた。それを2002年、あえて法人化したのはなぜだろう。これについて、手島氏は次のように語っている。
 「新しもの好きだからというのが一点(笑)。それから、個人事務所となると、個人のカラーが強すぎます。せっかく大勢の資格者がいるのに、いろいろな意味で活躍の機会が限られてしまう。みんなの力をさらに結集したかった。制度的にもでき上がったので、さらに結束力とノウハウの集約、それにスタッフのやる気を高めるために法人化に踏み切りました。そのためにあえて個人名称を外したのです」
 こうした経緯からも、手島氏は制度面での整備を高く評価している。特に評価している点は、資格者が全面的に外部に出られる体制ができ上がったために、やる気が起こってきている点である。確かに「無限連帯責任」のような、賠償問題が発生した場合の対応における問題などもあるが、資格者が成長すれば、その心配もなくなるという。
 とはいえ、以前の嶋津会計事務所でも、実態的には税理士法人に似た運営を行っていた。「法人化して特に変わった点はありません」というのが、手島氏の本音らしい。従来から中身は法人のような組織的な動きであったので、制度が逆に手島氏の事務所に追いついてきた形である。「我々は、20年以上前からやっているんです」と手島氏は付け加える。
 こうした実績の裏には、それまで25年以上運営してきた監査法人のノウハウがある。そのため、法人化の最大のネックとなる「無限連帯責任」の問題も「それをカバーする手当」が出来ている。この問題に関しては、毎月の審理会議をチェック機能としている。これは、書類や審査内容について担当者が詳細な説明を行い、所長を始め、会長、副所長が審査し、一対一で指導・チェックしているものである。
 監査法人の25年間という歴史が、税理士法人にも活かされているのだ。
 「税理士法人そのものがスタートしたばかりなので、さまざまな問題も出てくるとは思います。しかし、前向きに評価し、我々なりに消化していきます。スタッフ全員が『いい事務所だなあ』と誇れるような事務所にしていきたい」そう、手島氏は考えている。
 税務と監査、双方に精通する魅力
 国内企業の破綻が相次ぎ、アメリカ・エンロンの不正会計問題から、企業決算をチェックする公認会計士の監査に対し厳しい目が向けられている。アメリカの制度では、一つの会計事務所で監査とコンサルティングの両方ができたため「会計監査人の独立性」が叫ばれ、会計士制度そのものの見直しもなされている。さらには日本の公認会計士制度、試験制度の改革も検討されている。
 日本の法律上、同一企業に対して、税務と監査の両方を提供することは禁じられているが、単純化していえば、申告書を作る側である税理士と、申告書をチェックする側である公認会計士。手島氏のように監査と税務の両面に携わる場合、どんな風に捉えているのだろうか。
 「公認会計士が税理士法人や税理士事務所を持ちながら監査法人に所属しているのは、必要性から出ていると言えるでしょう。公認会計士の資格を持ちながらも、多くの地方では、以前は監査対象企業がなかった。そこで経済的基盤としては、当然税理士事務所に頼るしかなかったわけです。その後、世の中の変化で、地方にも公開企業が出てきて、こうした所が監査対象として拡大してきたり、公益法人に対する監査が広がったりした結果、今のような形になりました」
 「それに、監査の場合、1人では対応できないので法人化、つまり組織的に監査をしましょうということになってきたと思います」
 「千葉第一監査法人の場合は税務に関係のない公益法人監査というのが、非常に多いです。監査手法は、税務指導にも必要になってくる。監査の経験度が、税務をやっていく上で大きなプラスになっている。お互いの業務のノウハウが、非常に有効性のあるものなのです」
 こうした理由から、手島氏は新人教育をする際にも、まず監査会社に一緒に連れて行くと言う。「やり方のよくできた会社を見せるというのは、非常に大事です。赤字会社が税務業務の7割を占める世の中だからこそ、良い体験をすることが、良い税務を実現する手段になる」
 さらに手島氏は「我々が地方で求められているのは、大手の優良企業の監査経歴があるからなんです」と語る。監査の技法と実際の体験が非常にプラスになることは、手島氏が身を持って経験してきたことである。職員は、監査と税務の両側面から見ることができる上、業務的・顧客的にははっきりと区別しているので、双方の経験を両方の仕事に活かしながら、よりよい仕事ができるということである。
 「計算書、申告書をつくるのは、今機械が簡単にやってしまう。しかし、同じ決算書を作るのでも、様々な知識が結集してでき上がった決算書と、簡単に機械で作り上げた決算書では、自ずと違います。我々は、前者を求めています。そこにノウハウや思い入れを盛り込んで、一つ一つの企業にとって最良の方法は何かと考えるのです」
 「会計事務所は『イメージ』だ」と、手島氏は言う。信頼感が最も大事だからこそ、誠実でまじめな人が向いているとも語る。会計不信の時代だからこそ、ノウハウの蓄積や最善の努力をすることで誠実さの裏付けとすることに、今の事務所の形態は理想的と言えるだろう。
 人生三分主義
 千葉商工会議所自由業部会長、城西国際大学講師、各種公的審議会委員、日本公認会計士協会千葉県会副会長……。列挙すれば長い文字の列になるほど、手島氏の肩書きは多い。「仕事の三分の一は公職」と、本人も言い切るが、実に多くの公的活動にかかわっている。
 「自分の今までのキャリアやノウハウを活かして、貢献できる所には奉仕していく。自分の力を貸すことに惜しみない努力をしていきます」振り返ってみれば、地域社会への奉仕を始め、手島氏の人生はこの精神一本に貫かれているようだ。
 2002年還暦を迎えた一つの節目として、手島氏は、こうした人生哲学を一冊のエッセイ集「人生三分主義に帆を上げて」にまとめて出版した。その本に、こんなくだりがある。
「仕事三分の一、楽しみ三分の一、社会奉仕三分の一。合わせてやっと『一つ』の人生になる。そして『1人』の人間になる。すべてに誠実、すべてを楽しみ、すべてに感謝する。いまは、そんな思いで、毎日を歩んでいる」
 公職は社会奉仕。惜しみなく協力をする。そして税理士法人は、地域社会への奉仕である。競争ではない。そう考えたら、仕事と社会奉仕の境界領域はなくなり、仕事そのものが社会奉仕にもなる。会計人を目指す若い世代にも決して忘れて欲しくない人生哲学がそこにある。

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